岡部医院院長(宮城県名取市) 岡部 健
課題は医療、介護、看取りの文化の構築
昨日、こちらの緩和医療研究会で在宅緩和医療の進んでいく方向についてお話ししましたが、これからの方向としては、(1)医療の問題、(2)介護の問題、(3)死を見つめる看取りの文化という3つのテーマが大きな問題になると思っております。
医療の問題については、疼痛や呼吸困難などの症状のコントロールを図るというのが在宅緩和ケアの前提になります。去年からできました在宅療養支援診療所などで、在宅での症状コントロールを当然のこととして考えていかなければいけない。ただ、この医療の問題というのは、ある意味教科書もたくさんあります。比較的情報量が多いので、医師、看護師が在宅関連のことを学ぶのは、たやすい問題だろうと思います。
ただ、この次のステップの在宅で最後まで患者さんの生活をきちんと支えるという介護の問題は大きな課題があります。在宅で患者さんが最後まで過ごされるとなると、医師や看護師よりもはるかに多い時間、ヘルパーさんが患者さんと接することになります。ただ、この問題になると、実は教科書すらないとういのが現状でございます。介護者がなぜ患者さんを看取れないかというのは、日本の国全体が直面している大きな問題です。
これは厚労省が出している、在宅死亡率と病院死亡率の年次推移です。実は八十数%が病院で亡くなっています。がんの場合は九十数%が病院です。このように医療者の中で囲い込まれて人が亡くなるという社会を作ってしまった以上、介護者もご家族も死と接点を持つことができません。そうしたなかでは、死の問題を本当に真剣に考えていかなければ、看取りは難しい問題になってしまうと思うのです。
ただ、この介護の問題を超え、介護サービスがきちんとなされるようになったとしても、在宅での最後の看取りまできちんと持っていくためには、看取りの文化という問題があります。
今ある死生に関する価値観は、八十数%という病院死の中から作られたものです。そこをなんとか1度突き崩して、もう1度本来の姿に戻す。こうなってくると、在宅ホスピスケアや在宅医療の推進が社会運動の一部になるという話になりかねないですが、それは決して逃げることのできない大問題なのだろうと思います。
医療の問題は一番簡単。介護の問題については、介護スタッフがきちんと看取りまでやれるようになるためには、大きな問題点がたくさんある。そして、おそらく一番大切なのは看取りの文化の問題です。地域で看取りを支える文化をどう再構築するか。これが一番難しいし、医療だけで考えられるものではないので、文化、社会運動として取り組まなければならないような大きなテーマなのだろうと思います。
病院死亡率八十数%は医療にも責任が
それでは、在宅死亡率と病院死亡率の交差現象はどのような要因の中で起きてきたのでしょう。どういう社会的な圧力や文化的な要求でこうなってしまったのか、何をやらなければいけないか、何が問題なのかということが、在宅での看取りの問題を考える上で最大の謎解きになると思います。
私は昭和25年生まれですが、私が生まれた頃の病院死亡率は10%ぐらいしかありませんでした。これは国民皆保険制度がまだ始まっていなかったからです。実際に国民皆保険が始まる前の医療受給率は3割ぐらいと言われております。したがって過少医療の結果、治療で治せる患者さんが在宅で亡くなっていたのが昭和20年代なのだと思います。
それが国民皆保険になって、誰でも医療を受けられるようになった時、医療の受給率は増えてきますから、昭和53年に至るまでのカーブというのは割と順当だった気がします。昭和51年に在宅死亡率と病院死亡率が交差します。私が大学を卒業したのが昭和53年ですが、ちょうどその頃です。
私は当時、宮城の抗酸菌研究所という結核の専門施設におりましたが、抗結核薬や手術などが発達して、結核は治る時代を迎えました。このように昭和50年代というのは、病気は治療すれば治る、治るチャンスが出てくるという時代でした。この頃、肺がんの外科治療も急激に一般化してきますし、治らないと思っていた病気が治っていくという側面が現実にあったわけです。と同時に、医療に対する過剰期待を与えるような医療誘導があったのも事実です。
私は宮城方式という肺がんの集団検診のシステムを作る仕事も関わったことがあります。集団検診のモデルを作るとき、地域の中の受診率を上げるために「集団検診を受けなかったら、肺がんで死んじゃうよ。受ければ大丈夫だから」というような強引な誘導を地域でかけていたのも事実です。
確かにやらないよりは良かったのですが、実際には集団検診での治癒率は25〜26%でした。今はもう少し成績が良くなっているかもしれませんが、私どもがやっていた頃には検診で見つけた患者さんの半分が手術対象で、手術してその半分が治るというのが現状。「治る、治る」と言って地域を誘導しておきながら、実は25%しか治らなかった。なのに、「必ず受けなさい。ただし、受けても75%は治りませんよ」という情報は公開していない。その結果、地域の中で過度な医療期待を作ってしまったという歴史があります。
集団検診のシステムを作った側から見ると、治らないものまで病院に行けば治るという誘導をかけすぎてしまった気がいたします。医療に対する過度な期待や要求は、実は医療者が作ってきたという側面もあると思います。それがおそらく病院死亡率が50%を超えてくる状況を作り出してしまったのではないかと思うのです。
国民皆保険になり、医療受給が適正なレベルになると、当然40〜50%の病院死亡率になってくるわけです。今でもアメリカやオランダでは病院死亡率は約4割です。どこの国でも、病院死亡率4割というのは、適切な医療をやっていく中でやむを得ない部分ではある。しかし、八十数%にした要因については、医療側もかなり反省しなければならない部分があると思います。「病院に行って医療を受けるのが絶対一番いい選択肢なんだ」というのは本当にそうだったのかと、真摯に自分達の仕事を問い直す必要があると思います。
私は急性期医療、肺がんの外科治療、そして東北大の肺移植のグループにも関わってきました。そのなかで、患者さんを少しでも救いたいという気持ちが、逆にできないことにまで患者さんを期待させる、医療に依存させるという方向を進めてきてしまったのも事実だろうと思います。
なおかつ昭和50年代、私が外科になった頃は、恥ずかしながら、肺がんの末期の患者さんを1分1秒でも命を延ばすのが医師の使命だということで、現実に人工呼吸器に患者さんを付けておりました。その中でかなり悲惨で惨憺たる亡くなり方を私自身が作ってきてしまったという歴史がございます。
死を町と生活から排除したことが病院死へ
病院死亡率が増え、在宅死亡率が減った要因としては、社会の変化もあります。昭和20年代は大家族制でした。太平洋戦争の直後ですから、引揚者まで含めると、1軒の家に10人暮らしているというのは、ざらにあった話です。人的資源は大量にあったわけです。
その大家族制が崩壊し、核家族化が進んでいき、介護力が足りないことによって、在宅での看取り能力が低下していく。これも昭和50年代に病院死が病院に押し付けられていく要因になっていった。病院の対象でない患者さんでも、介護能力がないご家族に関しては介護入院が非常に進んでくるのが昭和50年代です。
これは地域の中の町づくりとも関連して出てくる問題だろうと思います。その当時、新興住宅地を作るとき、町から死の香りを一切排除した。これはおそらく戦後の日本が世界史の中で初めて実験したことだと思います。
欧米の町には必ず教会があって、横に墓地がある。だから、死と隣り合わせです。その教会の日曜学校に必ず通う。これが町づくりの基本でしょうし、おそらく日本以外の国では今でもこの習慣は崩れていないだろうと思います。
教会のような宗教施設の意味することは、死から逆算する価値観です。あの合理性を追求しているアメリカでも、宗教性という基盤は今でも崩れていない。現に新保守主義と言われる3,000万〜4,000万の人たちはかなり強固なクリスチャンですよね。
それと対比して考えると、お寺も神社もない町づくりをしてきてしまった日本は何だろうという気がいたします。死の香りを町と生活から排除してしまったということが、実は死を病院の中に隔離してしまうという社会の流れを助長してきた1つの誘因だろうと思います。
おそらくご家族で「おっかないから入院させてくれ」という方が結構いらっしゃると思います。それは何かというと、人の死を受け止められないということです。生まれてきて死んでいくことは絶対的な自然現象で、避けては通れない問題です。ところが、死を受け止めるということが町々、村々の中から崩壊してしまった。それが医療保険の中で病院死亡率を上げるかなり大きな要因になっていると思います。
私は仙台市と仙台市南部の農村地域で患者さんを診させてもらっていますが、仙台市内のマンションなどの患者さんと農村部の患者さんでは、死生観がかなり違っています。仙台市の南の名取や岩沼という農村部では、建売住宅を売るとき、神棚と仏壇が作りつけでないと売れません。ところが、仙台市内に入ると、神棚や仏壇を作りつけにすると売れない。
仙台南部の農村部では、在宅の終末期の患者さんは神棚、仏壇のある部屋で寝かされていて、そこで看護をされています。そして、神棚、仏壇のあるところでは、在宅医療が途中で途切れるということがほとんどありません。家族もそういう習慣になっている。逆に神棚、仏壇のない都市部では、死を受け止める文化がないので、看取りに非常に恐怖感が出てくる。生活環境が崩壊すると同時に、死生観自体がかなり崩壊していくというのを如実に感じています。
介護の困難は看取り体験の欠如から
このように八十数%のところまで病院死を作ってしまうと、20代の若者のほとんどが死に直面したことなしに成人に達するという、ややこしい問題が起きてきます。実際今、いくつかの大学で講義をしていますが、看取り体験があるか聞くと、体験したことがあるのは医学部の学生でも1人か2人です。それも病院死を含めてですから、死と直面した体験を持っている若者は極端に少なくなっている。
死と直面した若者と講義室の中でディスカッションをしていると、死に対する恐怖感が意外とないんです。大変だとは思うけれど、つらそうじゃなかったと言う。死の現場を若い人が見ていると、それなりに受け止めていく力があって、それがプラスに働いている。
経験していない人間には漠然とした恐怖しかない。見えなくて、経験していないから怖いんです。逆に死が見えないから、生が見えない。死のリアリティが崩壊してきているから、生のリアリティまで崩壊してきている。社会現象として、死生の問題が難しくなっているという現状があると思います。
在宅緩和医療で介護の難しさというのは、1つには実際に死の体験を持たない若いヘルパーさんたちを死の現場の介助に向かわせる難しさだと思います。介護技術の問題はトレーニングすれば何とでもなりますが、看取りを支えるとはどういうことかを介護者にどう伝えていったらいいか。それが今後の一番大きなテーマなのだろうと思います。ここを特に年長の人間がサポートし、支えてやらなければいけない。
最初の看取り体験を支えて、看取りを地域文化に
在宅緩和医療では当然、チームケアが重要です。うちでは医者、看護師、介護スタッフ、ソーシャルワーカー、リハビリ、ボランティアコーディネーターといったチームが患者さんのところにきちんと入っています。そのようにしてQOLをきちんと支えることで、良性を含めて去年1年で200人ぐらいの患者さんをご自宅で看取っております。
QOL調査をやってみると、うちのようなチームケアでのトータル・ケア・サポートが入っても、実際に死に直面してくると、非常に不安が広がっていく。こういう不安は医療でも、介護でも支えられない不安ですから、ここをなんとかしていかないと、「介護が不安だから、心配だから、病院へ」という流れは止められないということになります。
実は不安だから病院へ入れるというのは、非常に矛盾した表現なんですね。病院側には実は死の専門家はいないからです。講演会などで「医者は死の専門家だと思いますか」と聞くと、結構、一般の方も「死の専門家じゃありません」と言う。なのに、なぜか今の病院は死の専門家だと誤解されている。あるいは誤解された要求に応えている。
うちでやっている1年後の遺族調査では、「亡くなった時の故人の状態は安らかであった」とか、「精神的に落ち着いていた」と、結構いいんですよ。つらさに関しても、「あまり感じていなかった」というのが半分ぐらいになる。亡くなる前には「不安で怖い」って言っていたのに、1年ぐらい経つとある程度こなれてくる。経験してもらうことが最大の価値判断を作ることだろうと思うんです。
実際に、「自宅で看取ったことは、他の家族にとっても良かった」と思うのは、95%ぐらいになるんですね。こう思った群はこの次の看取りの時には怖くないんです。1回目の怖さはなんとか乗り越えさせてあげるように努力しないと、在宅ホスピスケアと言っても、難しいんだろうと思います。
うちでは10年ぐらいやっていて、がんの患者さんを在宅で1,000人ぐらい看取ってきていますが、看取ったご家族紹介が結構入ってきています。旦那さんをがんで看取った方が「私もあれでやってくれ。在宅死っていうやつでやってくれや」とか言われます。
それから、仙台でも南部の亘理町では、在宅で100人ぐらい看取ったあたりから、病院に近所の人がお見舞いに行って、「あんたんちも、もうぼちぼち危ないんだから、もういい加減、在宅さん呼んだほうがいいよ」という話が出る。「ああ、そうか。うちは『在宅さん』って言うんだ」と。
だから、ある人数看取ると、看取りが地域文化になっていくんです。それがお互いに影響し合って、在宅環境がもう1度作られる。「そんなに怖がらなくていいんだから」って看取り体験を持っている人が言う。最初の看取り体験を増やしていくことが非常に重要なんだろうと思います。
死の現場を医療者側が独占せず共有を
若い人たちが死の現場と接触できるような環境をつくってあげるのは、いわば医療者の義務だと思います。
1つは地域の中で、死の現場をボランティアという格好で体験させる。うちでは独居の患者さんのところの看取りに、「ボランティア添い寝」をさせています。ボランティアで学生たちが添い寝したりすると、人生観も変わるし、生き方が変わったという人も結構います。
死の現場を決して医療者側が独占しないことは、重要なことだと思うんです。その1つがボランティア活動。その活動の中で亡くなっていく方々のことを受け止められるような場づくりをしていく。
それから、医療者は看取っているんだから、死のことを何でも知っているかというと、ちっとも知らない。死の現場を持っていながら、死をきちんと見る能力を持っていない。逆に宗教学や哲学などの文科系の連中は、大量の知識を持っているのに現場を持っていない。そうした人たちに問題をぶつけることによって、地域の中の死生の問題も少し変わってくるのではないかと思います。
2003年にタナトロジー研究会というのを作りました。哲学、宗教学などさまざまな人たちがいます。死の現場を一般側、文科系の人間と共有する作業をしています。お迎えという現象1個を出してディスカッションをしているだけで、裏側の民俗学を引っ張り出してきたり。なかには宗教学で恐山に入って調査をやっている人も入っています。
死直前のせん妄を「お迎え」と受け止める
その研究会でうちの患者さんのご遺族に「お迎えアンケート」をやりました。亡くなる前にお迎えが出てくることが多いので、そのお迎えを現実にご遺族がどう受け止めているか調査をしたのです。お迎えが来たと考えているご遺族は1〜2割だと思っていたのですが、実は7割もの方がお迎えが来たという感覚を持っていた。
お迎えのようなことも、医者側がきちんと受け止めていけば、亡くなる前の幻覚、せん妄が問題にならなくなります。終末期、亡くなる前には、8割以上にせん妄が出ると、アスコのガイドラインでも言われています。8割以上に出るのなら、病気ではなく自然現象です。自然現象であれば、自然現象として皆さんがちゃんと受け止められるような言葉を作って欲しい。
せん妄、幻覚は病気の名前です。終末期のせん妄の中でも過活動せん妄などの病的なせん妄に関しては治療対象になるでしょう。しかし、自然現象として出てくるせん妄は、治療の対象になりませんよね。
そういうところが病的な言葉で定義されるから、一般の人も怖がってしまう。幻覚だ、せん妄だ、病気だから受け止めない。その時に結構いいのが「ああ、お迎えがきたね」、「いい夢見るようになったね」、「あっちのほうに近い人がお迎えに来ているかもしれないよ」といった話です。こういう話になると、ご家族もご本人も落ち着きます。
「まだ死ぬのはいやなんかい?」って言うと、「まだ死にたくないんだ」という時、「お迎え来たんかい?」と聞いてやれば、「まだ来てないんだ」、「じゃあ、まだ行けないな」という会話ができる。会話の中であの世とこの世を行ったり来たりすることができますし、お迎えというのは、非常に重要な認識の現象なのだと思います。
死に直面した患者、家族から看取りを教えてもらう
現在の日本全体の死亡数は約100万人です。これが我々、団塊の世代が死亡年齢に入ってくる2038年には170万人になるとされています。当然、病院のキャパシティをはるかにオーバーします。
この間に病院が急性期医療転換していくと、少なくとも100万人近くの人を在宅および介護施設で看取らなければならないというのは、今後明らかな状況です。本気で在宅での看取りを考えていかなければなりません。特に看取りをどうやってきちんと社会の中に再構築するかということを真剣に考える必要があります。
では、どうやって看取りを支えていくか。実は欧米の教科書を何度読んでも、日本の看取りは出てきません。縄文以来、日本人は日本の風土に根づいて生きております。死の問題の解決策は、こうした文化の足元を見直さないと出てきません。
欧米の場合、キリスト教は荒野、砂漠で作られてきたような宗教です。そういう地域では、遺体があってそれを砂で覆ったとしても、すぐ砂嵐で砂がよけられてしまう。骨になるまで遺体を見続ける文化なんですね。ところが、日本の風土では、自然の再生産能力が強いので、自然の中で隠して覆っておくと、自然の中に戻ってしまう。
覆い隠しておくと自然に吸収されて跡形もなく土に戻ってしまう日本と、骨になるまで朽ちていくのを見続ける欧米とでは、死生観も違っている。だから、海外の文献を読んでもなかなかうまくいかない部分があります。
そうなると、どこから学ぶかというと、患者さんのご家族が実際にどうやって、何を支えに看取っているか、それをこちらが教えてもらう形で入っていかないと難しい。現実に私どものところで年間200人看取れているというのは、個々の患者さんやご家族の中に、普段は見せないけれどもいざという時に出てくる宗教性、死を目の前にした時の心のバランスの取り方、価値観が必ずどこかにまだ残っているからなんです。
よく日本人に宗教観がないという話があります。例えば、医学部の学生に「あなたは宗教を持っているか」と聞くと、99%は「そんなばかなものは持っていない」と答える。でも、一般の大学では3割ぐらいが「持っている」と答える。どうも見ていると、医療関係者が特殊に宗教性が薄いように思います。
例えば、欧米の医学部教育には、当然、宗教性の問題も入ってきますし、宗教的価値観の中での人の生き様、死に様の判断も出てくる。ところが、日本では医学を科学的なものとして教育し始めたとき、医学の中にある宗教的なコンポーネントを外してしまった気がしています。日本の医学部教育では、実は死の教育は1時間も行われておりません。逆にそういうものを排除していくイメージトレーニングをかなりさせられた経験があります。
飲み屋で話をしていると、だいたい半分ぐらいの方が宗教性を持っています。ところが、医者同士の同窓会なんかで宗教性の話なんかしたら、「おまえ、おかしいんじゃないか」と言われる。医療側は一般の方々が考えている価値観にきちんと近づいて、そちら側から見る目を養わなければいけない。そうなってくると、やはり死生の問題は、患者さんから教わるということになります。
それも患者さんが亡くなる前にこのぐらいのステップではこう考えていた、その前はこう考えていた。それを蓄積して、経験させてもらうのが看取りの一番の基本なのではないかと考えています。皆さんもよく経験なさっていることだと思いますが、亡くなられる前になると、患者さんは結構死になじんできて、直前になるとあまり死に対しての怖さを表現しなくなってきます。
日本人の死の受容を最大限に支えるのが在宅
いわゆる受容があって、それから死を迎えるというキリスト教型の受容概念と、日本人の死の受容はおそらく少し違っている。どうも見ていると、もっといい加減ですよね。
「あなたは亡くなるよ」と告知されていても、「今日、明日じゃ、あんめえ」と思いながら、「あらら、おかしいよ、今日かい?」って言って、逝っちゃうような感じで、日本人の生き死にの感覚というのはかなりいい加減なところがある。そういう意味では、そのいい加減さを最大限に支えてくれるのが、おそらく在宅なんです。在宅では病院のように対峙させられません。
昔「病院3回死亡説」というのを出したことがあります。病院に行くと、入院した段階で社会性が切れてしまうので、ソーシャル・デスで1回死ぬ。個室に移らされたら、「ああ、もう危ないんだ」というので精神的な死がある。最後に心臓死が来る。だから、病院では3回死ななきゃいけない。
ところが、在宅では1回なんです。最後までソーシャル・デスがない。最低の社会構成単位としての家族は最後まで残っていますし、近所のおじちゃん、おばちゃんが見舞いに来ます。いかにも亡くなりそうな人がいたって、孫や子供達の入学式などの行事は淡々と行われ、普通の生活が過ぎていく。そうすると、ソーシャル・デスはない。
サイコロジカル・デスは本当にあるかというと、どうも見ていると、もっとなじんであっちに行っちゃうという感じが強い。あの世に行くという感覚は、結構今の日本人でも持っています。
日本人の死生観・宗教性の掘り起こしを
うちの外来で「死んだら、どこ逝くの調査」というのをやっています。外来で診察しながら、「じいちゃん、死んだらどこ逝くと思ってんだ?」と聞くと、宮城県なんかだとほとんど山なんですね。「死んだら、山さ逝くんだ」って答える。
里山に魂は帰っていって、葉山に行って、その後は地方の中の最大の山、東北地方だったら、月山、羽黒山という霊場に行って、魂は自然に戻っていく。そういう基本的な信仰があって、今でも結構ちゃんと残っているんです。
患者さんは「死ぬ」という言葉を嫌います。生き死にの話をするなら、「逝く」という言葉なら、受け止めてもらえるケースが多い。「逝く」とう言葉には、向こうにつながっている感じがあるから、お互い死の問題を語れます。でも、「死」という言葉は断絶していますから、「死」という表現ではなかなかコミュニケーションが取れない。
日本人なら日本人の死生観、価値観を基盤にして会話をし、受け止めていく場を作っていくことは非常に重要なのだろうと思います。そうすると、患者側から聞いて、受け止め方を考えていくしかないだろうという気がいたします。
東北地方の八戸あたりでは、未だに葬儀までの間に「仏おろし」というのをやるんです。「仏おろし」というのは何かというと、亡くなった人をこの世に霊媒師が呼び戻して、まわりが謝る。これほどのグリーフ・ワークはない。そういうことも含めて、地域の中での宗教性をもっともっと掘り起こして、死の現場で使っていく。教えてもらう。そういう形を取っていかないといけないと思います。
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