在宅医懇話会

≪2.看取りに関わる問題について 事例検討2≫

●患者プロフィール

Bさん 70代 女性
疾患名:肝細胞がん(C型肝炎より)
症 状:下腹部に押されるような痛み、全身倦怠感
現病歴:200X年に他院にて上記診断。
    内服による抗がん剤治療の効果がないことから、翌月に緩和医療科を受診、転棟となる。
家族歴:夫は1年前にすい臓がんで他界。
    長男夫婦、孫と4人暮らしで主介護者は長男。長女は近県に在住し、Bさんの病状が悪くなったら、同居して介護する予定になっている。
退院時所見:ECOG PS4
退院時の予測される経過:消化管出血(ショック)、肝性脳症
退院時の予測予後:PPI予測 3〜6週 週単位(しかし、消化管出血を起こしており、診察上は週〜日単位と考えられた)

●病院からの報告

  • 1.入院中の経過
      緩和医療センターへの転棟の目的は、痛みをコントロールして、夫の三回忌までには退院すること。長男は病状について転棟前から説明されていたが、病気についての会話はなく、Bさんがどのように理解していたかは不明。患者の知人である近医への継続医療を希望し、在宅支援センターを通して、退院調整を開始した。
  • 2.退院時の状況
      腫瘍の増大によると考えられる上腹部痛あり。ロブR錠(NSAIDS)の効果があり、1日3回の内服で症状緩和が図れていた。日常生活は、ほぼ自立。食事も刻み食を自力で摂取していた。排泄は失禁してしまうこともあり、オムツを着用。夜間の睡眠状況にも問題はなかった。
  • 3.家族の状況
      主介護者は長男夫婦で、長男は自宅で仕事をしている。発病から短期間であったためか戸惑いつつも、介護には積極的な姿勢が見られていた。週末には長女からの介護協力が得られていた。退院時、Bさんは病状を理解していたが、在宅死まで考えていたかは不明。在宅療養は希望していた。
  • 4.再入院時の経過
      Bさんは退院してから再入院となり、その日のうちに緩和医療センターで死亡退院。
     前日から意識レベルの低下が出現し、救急車で緊急入院する。再入院時の家族の不安はBさんが前日からお腹を痛がっていたことと、在宅医に連絡したが訪問診療に来てもらえなかったこと。
     看取りの場面では、最初はやはりショックで慌てていたが、少しずつ声がかけられるようになり、「ぎりぎりまで家にいた。よく頑張った」と長男が声をかけていた。

●在宅緩和医療を行った診療所医師からの報告

  • 1.退院時の状況(初回面談時)
    Bさんのニーズは夫の三回忌に自分の足で歩いて出席すること。そのついでなのかは不明だが、家に帰ることを希望。家に帰れば元気になると言われたので、家で趣味の絵手紙が書けるように元気になりたいという希望があった。
     家族は本人の思うように過ごせればいいという考え。長男は「Bさんは元々頑張る人で、自分もそのように育てられてきたので、本人にも頑張って生きて欲しい」と語った。
     病状について、Bさんは努力すれば何でもできると思っている。本人や長男の言葉から、 緩和ケア病棟に入れば元気になって退院できると思っているような印象を受けた。
     病状が理解できないのではなく、否認をしているようにも思えた。
     家族は月単位と言われたとのこと。このまま何もしないで諦めるのは考えられないという。別の病院で抗がん剤治療は適用にならないと言われ、転院している。このため、入院時に抗がん剤の内服が始まっていた。緩和ケア病棟転棟時、腫瘍マーカーが上がっていくならやめる方向で主治医が長男に話していたが、横ばい状態だったので服用を続けていた。
     Bさんの不安や困っていることは、体が思うように動かないこと。気力がないせいなのか、体力がないせいなのかわからないと言っていたが、明らかな不安の訴えはなく、元気になることの話をしていた。長男はどうなっていくのか、さっぱりわからないとのことだったが、特に不安の訴えはなかった。
  • 2.初回訪問時の評価
     否認はあるものの、予後が日単位の可能性もあったので、病状をBさんに説明して理解を求めるより、本人の希望を維持することを優先させたほうが有益性が高いと考えられた。そのため、Bさんにはまず体の調子に合わせた生活を送り、自宅での生活に慣れることを提案した。家族に対しては急速に状態が悪化することを説明。現時点で消化管出血を起こしており、病状がどんどん悪くなる可能性もあることを伝えた。  自宅で最期までという形ではなく、何かあれば病院へという感じの方だという印象を受けた。ただ、状況によっては在宅死も可能なのかなとも感じた。
  • 3.在宅ホスピスケアの普及を妨げる要因に照らした評価
    • (1)本人の病状や病名が正しく説明されていない。
         病院からの報告のとおり。本人は否認のコーピング。家族は退院が近づいた時点で詳しい説明は受けていない。   
    • (2)がんに伴う苦痛(特に痛み)が施設内でも十分に緩和されていない。
       日常生活を送るに当たって、困らないように十分コントロールされている。消化管出血を起こしているが、NSAIDsが使用継続されていた。オピオイドでは眠気の増強が懸念され、使用した場合に本人の思うような生活が送れない。家族は、腹部の打撲からNSAIDsを使い始めたと理解しており、現時点で必要かどうかわからないとの認識だったため、消化管出血は出ているが、症状に合わせて使用継続することとした(症状がなければ、減量、中止することは可能と説明)。   
    • (3)医師が治すための治療をなかなかしない。
       医者の意識は既に緩和ケアのみになっているが、家族が抗がん剤の使用を希望した。   
    • (4)患者や家族ががんを治すことに過大な期待を持ちすぎる。
         本人は病状を否認している可能性あり。家族は過大な期待を持ってはいないが、「本人の今までのスタイルから、頑張らせたいと思っている。緩和ケア病棟に入院すると元気になると本人が思っている」とのことだった。   
    • (5)進行したがんをもった患者に対する訪問医療体制が整備されていない。
         体制はある。   
    • (6)在宅ホスピスケアの知識や技術をもった医師や看護師が少ない。
         一応知識や技術はあると思っている。   
    • (7)病院で看取るのが当然と考えている。
         本人が望めば迷わず病院と考えている。家族は、苦痛が生じれば本人も病院を希望するだろうと思っている。   
    • (8)65歳以上は福祉サービスが受けられない
         現在では、末期がんに限っては40歳以上なら福祉サービスの提供体制あり。該当しない。   
    • (9)介護者を支える社会支援システムがない。
         該当しない。   
    • (10)保健薬局での薬剤使用に規制が多い。
         該当しない。   
    • (11)在宅ホスピスケアでは保険金が下りない。
         経済的に困っているとの訴えはなかった。
  • 4.その後の経過
      初回訪問の3日後に2回目の訪問を行った。この時はタール便は消失していて、 NSAIDsと頓服で症状コントロールができていた。
     突然の苦痛増強に家族が慌てず対応できるように、家族へは急速に状態が悪化すること、その場合には苦痛を伴うことがあり得るが、それは比較的短時間であることを説明し、心の準備を促した。
  • 5.臨終期
      早朝、息苦しさと腹痛があるので、医者を呼んで欲しいとBさんに言われた長男から電話あり。前日に嘔吐してしまったとの訴えはあるが、電話の声に切迫感はなし。
     ボルタレン坐薬25mg挿肛とO2を2Lから3Lに増量するように電話で指示。坐薬が嫌なら、NSAIDs内服の指示をした。ただし、状況から坐薬のほうがいいことを説明。30分で効果があること、効果がなければ往診を含めて考えるので、連絡するように指示した。
    レペタン坐薬も渡してあるので、とりあえず次の対応方法があると、この時点では考えていた。
      2時間後に長男より、薬が効いていないと電話あり。本人が苦しいので病院に行きたがっているとのこと。声にやや切迫感が出てきているが、慌ててはいない印象を受けた。事前に確認しておけば良かったのだが、Bさんは夫が最期に坐薬を使って、そのまま亡くなったため、坐薬を使うと死んでしまうと理解しており、死んでしまうので坐薬は使いたくないと拒否。
     「じゃあ、病院へ行きましょう」と、入院していた病院へ連絡を入れ、入院の手配を取ることを伝えた。しかし、病院より「すぐに入院受け入れはできないが、翌日なら受け入れられる」と連絡あり。私も在宅医療コーディネーターも検査や緊急の電話に対応してお り、入院調整がすぐできなかった。
     20分後に長男より切迫して慌てた声で「入院はまだできないのか!」と電話あり。すぐの入院は難しいので、訪問看護師を行かせようかと提案したが、「とにかく苦しがっているから、なんとか入院させろ」ということ。入院していた病院にお願いし、救急車で受診してもらった。
     さらに4時間半後、病院より「病院到着時、既に下顎呼吸で、間もなく亡くなった」と報告あり。吐下血していたようだが、家族は落ち着いていたとのこと。
     訪問回数は2回。訪問期間は10日間。反省が残るケースだった。

●在宅緩和医療を行った診療所の医療コーディネーターからの報告

 訪問回数が2回で、導入のみという形になってしまったため、訪問看護ステーションがBさんや家族と話がきちんとできていたかは微妙。ケアマネージャーに対しては、家族から「とにかくベッドだけ入れてくれればいいんだから」という話だったと聞いている。
 あまりに短期間で亡くなられたので、ケアマネージャーが介護保険の福祉用具の集金が怖いと言っていたのを覚えている。
 臨終期に直接、家族から話を聞いていなかったので、その切迫感が理解できていなかった。坐薬もあるから、1日ぐらいなら様子が見られるかもしれないと思ってしまって、対応が後手に回った。
 病院志向が高いケースの場合には、病院に24時間体制を取ってもらう必要があるように思う。

●質問・意見

質問 臨終期に看護師はどうしていたのか。
診療所在宅医療コーディネーター 2回の訪問で終わってしまったため、訪問看護との連絡も十分取れなかった。また、Bさんは高度な医療を受ければ元気になれるという期待もあり、病院志向が強かったので、医師は信頼しているが、看護師を少し低く見ており、訪問看護のサポートを必要としていなかったようだ。
質問 肝細胞がんで出血する場合に怖いのは、静脈瘤の破裂による吐血や喀血だが、下血というのは、消化管のどこからの出血だったのか。また、この状態でNSAIDsを使うのは危険ではなかったか。
診療所医師 NSAIDs潰瘍は十分に考えられたし、バリックスもかなり門脈亢進が高まっていたし、門脈腫瘍栓ががっちりあったので、事前のCT所見からは静脈瘤も十分に考えていた。ただ、最初の出血の時点でとりあえずNSAIDsも入っていたので、Bさんの目的と予後を全部考え合わせ、NSAIDsでコントロールがついているので、オピオイドに変えずにとりあえず様子を見た。亡くなった時の出血はかなり急激な展開だったので、静脈瘤かもしれないと考えている。
意見 この事例は、10日間きちんと自宅で過ごせて、最期もきちんと病院側が対応しているので、失敗例ではない。ただ、ターミナルの場合、最初は用がなくても集中的に訪問してくれる看護師がついていないと、大変だと思う。このケースでも、長男から最初の電話が入った段階で、看護師が訪問して病状報告を上げていたら、もっと違った対応ができたかもしれない。 
 私の場合は、初回訪問は必ず看護師と同行し、訪問看護師からの病状報告はすぐに医師に上がること、担当看護師は大変優秀で頼りになることをきちんと説明している。たとえ同行できなくても、看護師の訪問だけで手に取るように医師の自分に症状がわかることは伝える必要があると考える。そうした意味では、24時間対応してくれる訪問看護ステーションと連携することが必須ではないかと思う。
意見 患者さんのところへ行ったら、関連職種のスタッフを褒めちぎるのが私のスタンス。難のあるケアマネージャーもいるが、患者さんや家族の前では褒めちぎることで、患者さんも安心して、事が運んでいくように思う。このケースは私も成功例だと思う。ただ、退院して10日間、ひたすら症状が悪くなるばかりだったのが気の毒だったと思う。

●病院緩和医療センター 部長のまとめ

 私のドクターとしての反省は、病棟の治療担当医からUFTが処方されていたが、採血して腫瘍マーカーを計ったところ値が下がっていたので、病状の進行の裏付けが取れないまま在宅へ移行してしまったこと。いつもギアチェンジをしっかりさせてからご自宅にと考えているが、この事例については根拠が揺らいでしまい、うまくいかなかった。

▲このページのトップへ